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【令和版寓話 #4】切り抜きの中の世界で。──“一部しか見えない”時代に生きる私たちへ

SNSや動画配信を見ていて、
「この人、いい人そう」「いや、最悪じゃん」
そんなふうに真逆の意見が飛び交っているのを、見たことはありませんか?

私自身も、かつては“切り抜き動画”を見て、
その人を「わかった気」になっていた一人でした。

でも今思えば、私が見ていたのは――
たった数十秒の“部分的な真実”だったんじゃないかなって。

今回のお話は、
そんな「一部だけを見て、全てを決めてしまう」私たちに向けたお話です。

切り抜きの中の世界で

ある日、五人の若者が、人気配信者の動画を見て語り合っていた。

A「この人、泣いてたシーン見た? めっちゃ優しい人だよ。」
B「え? 俺が見たやつでは怒鳴ってたよ。冷たい人だろ。」
C「いやいや、金儲け目的の人でしょ。」
D「私は違う動画見たけど、めっちゃ面白かった!」

そして、最後の一人が静かに言った。
E「……みんな、違う動画を見てるだけじゃない?」

五人が見ていたのは、同じ配信者。
けれど、それぞれが見たのは、
たった数十秒の“切り抜き”だった。

怒りのシーン、笑顔のシーン、涙のシーン。
編集された一瞬の感情を見て、
「この人はこういう人だ」と、
自分の中で“ラベル”を貼っていたのだ。


後日、五人はフル配信を見た。
そこには、怒りも優しさも、迷いも誠実さも全部があった。

「なるほど……」
彼らはようやく気づいた。
自分たちはそれぞれ、“一部の真実”しか見ていなかったことに。

解説|情報社会における「部分の罠」

このお話で描いているのは、
情報があふれる時代における「部分しか見えない不自由」です。

SNSの投稿、ニュースの見出し、動画の切り抜き。
それらは、便利でわかりやすい反面、
“真実の断片”しか映していません。

そして私たちは、気づかぬうちにこう考えてしまう。
「これがすべてだ」と。

でも実際には、人の発言も、出来事も、背景や文脈があってこそ意味を持つ。
ほんの一瞬を見て誰かを断じることは、“見たい部分だけを見ている自分”を映しているのかもしれません。

全体を見ようとする姿勢が、真理に近づく力

異なる意見を持つ人がいるのは、
「誰が正しい・間違っている」からではなく、
“それぞれが見ている部分が違う”からです。

だからこそ、必要なのは対立ではなく、「あなたはどの部分を見ているの?」と聴く姿勢。
そして、自分自身が「全体を見よう」とする意識。

それが、情報の洪水の中で真実を見つけるための羅針盤になるのです。

読んでほしい一冊「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」



この本は、まさに「部分で判断する危うさ」を科学的に教えてくれる一冊です。
データを“正しく全体で見る力”の重要性を、ユーモアを交えて語っています。

私もこの本を読んでから、
ニュースやSNSを見るときに、
「これは事実の全部じゃないかもしれない」と一度立ち止まるようになりました。

情報を“信じる”前に、“確かめる”。
それだけで、世界の見え方がまるで変わります。