SNSや動画配信を見ていて、
「この人、いい人そう」「いや、最悪じゃん」
そんなふうに真逆の意見が飛び交っているのを、見たことはありませんか?
私自身も、かつては“切り抜き動画”を見て、
その人を「わかった気」になっていた一人でした。
でも今思えば、私が見ていたのは――
たった数十秒の“部分的な真実”だったんじゃないかなって。
今回のお話は、
そんな「一部だけを見て、全てを決めてしまう」私たちに向けたお話です。
切り抜きの中の世界で
ある日、五人の若者が、人気配信者の動画を見て語り合っていた。
A「この人、泣いてたシーン見た? めっちゃ優しい人だよ。」
B「え? 俺が見たやつでは怒鳴ってたよ。冷たい人だろ。」
C「いやいや、金儲け目的の人でしょ。」
D「私は違う動画見たけど、めっちゃ面白かった!」
そして、最後の一人が静かに言った。
E「……みんな、違う動画を見てるだけじゃない?」
五人が見ていたのは、同じ配信者。
けれど、それぞれが見たのは、
たった数十秒の“切り抜き”だった。
怒りのシーン、笑顔のシーン、涙のシーン。
編集された一瞬の感情を見て、
「この人はこういう人だ」と、
自分の中で“ラベル”を貼っていたのだ。
後日、五人はフル配信を見た。
そこには、怒りも優しさも、迷いも誠実さも全部があった。
「なるほど……」
彼らはようやく気づいた。
自分たちはそれぞれ、“一部の真実”しか見ていなかったことに。
解説|情報社会における「部分の罠」
このお話で描いているのは、
情報があふれる時代における「部分しか見えない不自由」です。
SNSの投稿、ニュースの見出し、動画の切り抜き。
それらは、便利でわかりやすい反面、
“真実の断片”しか映していません。
そして私たちは、気づかぬうちにこう考えてしまう。
「これがすべてだ」と。
でも実際には、人の発言も、出来事も、背景や文脈があってこそ意味を持つ。
ほんの一瞬を見て誰かを断じることは、“見たい部分だけを見ている自分”を映しているのかもしれません。
全体を見ようとする姿勢が、真理に近づく力
異なる意見を持つ人がいるのは、
「誰が正しい・間違っている」からではなく、
“それぞれが見ている部分が違う”からです。
だからこそ、必要なのは対立ではなく、「あなたはどの部分を見ているの?」と聴く姿勢。
そして、自分自身が「全体を見よう」とする意識。
それが、情報の洪水の中で真実を見つけるための羅針盤になるのです。
読んでほしい一冊「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」
この本は、まさに「部分で判断する危うさ」を科学的に教えてくれる一冊です。
データを“正しく全体で見る力”の重要性を、ユーモアを交えて語っています。
私もこの本を読んでから、
ニュースやSNSを見るときに、
「これは事実の全部じゃないかもしれない」と一度立ち止まるようになりました。
情報を“信じる”前に、“確かめる”。
それだけで、世界の見え方がまるで変わります。

