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「好きなことで生きていく」は本当か? 需要がなければ届かない、という現実

仕事・生き方

「好きなことで生きていく」という言葉を、一度は信じたことがあるのではないでしょうか。

動画を見て、本を読んで、「そうか、好きなことを突き詰めれば道が開けるんだ」と思った。でも、いざ動いてみると、なんとなく手応えがない。発信しても反応がない。頑張っているのに、誰にも届いていない気がする——そんな経験をされた方も、少なくないかもしれません。

そのもどかしさの正体は何だろう、とわたしもずっと考えていました。

わたしなりの答えは、こうです。好きなことだけでは、届かない。 届くためには、需要が必要です。

これは夢を諦めましょう、という話ではありません。「好き」という燃料の使い方を、少し変えてみませんか、という話です。

「過ちは好む所にあり」という言葉の意味

江戸時代から伝わる言葉に、こんなものがあります。

「過ちは好む所にあり」

意味は、人は自分が好きなこと・得意なことにこそ油断が生じ、失敗しやすい、というものです。武道の世界で使われてきた戒めで、慣れ親しんだ技ほど慢心が生まれる、という観察から来ています。

この言葉が刺さったのは、「好き」という感情そのものへの警戒心を含んでいるからです。

得意なことほど、油断しやすいもの

好きで、得意で、長くやってきた。だから自分のやり方が正しいと思い込んでしまいます。フィードバックを受け取りにくくなる。「わかってない人には伝わらない」と、無意識に相手のせいにしてしまうこともあります。

これは才能のある人ほど陥りやすい罠かもしれません。

好きなことほど、独りよがりになりやすいもの

好きなことへの情熱が強いほど、自分の世界観へのこだわりが生まれます。相手が何を求めているかより、自分がどう表現したいかが先に来てしまうんですよね。

悪意はありません。むしろ純粋だと思います。でもその純粋さが、需要との接点を遠ざけてしまうことがあります。

「好きなことで生きていく」の何が問題なのか

好きなことは主観、需要は客観

「好き」は自分の内側から来るものです。「需要」は外側——つまり、誰かが何かを必要としているという事実です。

この二つは、重なることもありますが、最初から一致しているとは限りません。

好きなことで生きていこうとして行き詰まる方の多くは、この非対称をうまく扱えていないように見えます。発信するコンテンツが「自分が好きなもの」になっていて、「誰かが困っていること」への回答になっていない、というパターンです。

需要とは、誰かの悩みや問いに答えられる力のことだと思っています。

好きなことを仕事にして行き詰まるパターン

よくあるのは、こんな流れではないでしょうか。

好きなことを仕事にする→最初は楽しい→でも収入が安定しない→焦り始める→好きだったはずのことが義務感に変わる→やがて疲弊してしまう。

このとき、「好きなことを仕事にしたのが間違いだった」と結論づける方がいます。でもわたしは少し違う見方をしています。問題は「好き」を仕事にしたことではなく、需要を確かめないまま進んだことだったのではないか、と。

わたしの話——ダンスとウェブの間で気づいたこと

少し、自分のことをお話しさせてください。

わたしはかつてダンス講師をしていました。ダンスは本当に好きでした。舞台に立つこと、身体で表現すること、音楽と同期する感覚。今でも好きだと思っています。

好きだったダンスで生活できなかった理由

でも、ダンスで安定した収入を得ることは難しかったです。

原因はいくつかあったと思いますが、一番大きかったのは、わたしのダンスへの「需要の総量」が、生活を支えるほど大きくなかったことでした。好きで、それなりに続けてきた。でも市場の中で、わたしを必要としている人の数は限られていました。

これは実力だけの話ではありません。ジャンル、地域、タイミング、発信力——いろんな要素が重なって「需要」は決まります。好きの強度とは、必ずしも比例しないんですよね。

求められたことが、ウェブの仕事だった

フリーランスになってから、ウェブの仕事を始めました。最初は「好きかどうか」より「できるかどうか」でした。WordPressを触れる、コードが書ける——それだけで声をかけてもらえました。

最初から「好き」ではありませんでした。でも、誰かの役に立てている手応えがありました。感謝される。リピートしてもらえる。それが積み重なるうちに、この仕事が面白くなってきたんです。

需要の中に、好きが育った。そういう感覚でした。

では、どう考えればいいか

「好き」×「需要」の重なりを探してみる

好きなことと需要の重なる場所を探すのが、一番安定した出発点だと思っています。

どちらかだけではなく、両方の円が重なるところ。そこが、長く続けられて、かつ誰かの役にも立てる領域になります。

見つけ方はシンプルで、「自分が好きなことについて、困っている人はいるかな?」と問いかけてみることです。その答えが見つかれば、それが需要との接点になります。

需要の中に好きを育てる、という逆の発想

もうひとつの考え方として、順番を逆にするやり方があります。

先に需要のある場所に飛び込んで、そこで好きを育てていく。最初は「好きだから」ではなく「求められているから」始める。そして続けるうちに、そのことが好きになっていく。

これは妥協ではないとわたしは思っています。むしろ現実的な入口です。

好きなことを仕事にしている方の多くは、よく見ると「仕事をするうちに好きになった」ケースが少なくありません。最初から好きだったのではなく、続けた先に好きが生まれていたんですよね。

まとめ

「好きなことで生きていく」という言葉を否定したいわけではありません。

ただ、その言葉には「需要」という視点が抜けていることが多いように感じます。好きなことを持つのはとても大切なことです。でも、それだけでは誰かに届かないかもしれません。

需要という鏡を持つと、自分の「好き」の輪郭がはっきりしてきます。どこで役に立てるか、誰に求められているか。それがわかってくると、好きなことの活かし方も変わってきます。

「過ちは好む所にあり」——この言葉は、好きなことを諦めなさいという意味ではないとわたしは思っています。好きなことだからこそ、慢心せず、相手を見てください、という意味だと解釈しています。

好きを持ちながら、需要に耳を澄ます。そのバランスが、会社に依存しない生き方を続けるための、静かな軸になるのではないでしょうか。